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ふるさとのお社探訪

曽於市 住吉神社「流鏑馬」

 鹿児島県曽於市末吉町二之方(旧財部町、旧大隅町、旧末吉町が平成17年合併)に鎮座する住吉神社は大隅半島の北部に位置し、宮崎県都城市に接し国道10号、国道269号が走り、太平洋に注ぐ大淀川の源流が流れ、古事記、日本書紀に見られる檍原、高山、短山、小戸等の数々の地名があり神話の郷にふさわしい流域の中にあります。

 御祭神は底筒男命、中筒男命、表筒男命の三神で伊邪那岐命が檍ヶ原で禊祓いをされた時、住吉三神が生まれたのでこの住吉山の中腹に創建されました。

 古代の創建と伝えられていますが年代は明確ではありません。当神社は住吉大神の荒魂を祀るといわれ海内諸住吉社の根本であるとされています。

 慶長4年(1599)島津方と伊集院方との領地を争う庄内の乱がこの地方に起り島津龍伯(義久)公は当社に戦勝を祈願され、乱平定後島津氏の尊崇いよいよ篤くなり、義久公、家久公和歌を献じその後藩の直轄神社として歴代藩主の崇敬篤く、嘉永2年には社殿改築成就、斉彬公も参詣の折神王面2面(出目満如作)の彩色の修復を命じています。明治廃藩後は郷社でありましたが昭和7年7月19日県社に列格されました。尚住吉山の山頂には姥石という石があり日向、大隅二州の境界石、あるいは祭祀の場所又山陵とも伝えられ市の指定文化財になっています。他に神社本殿、神王面、短冊(歴代藩主の和歌)等も市の指定文化財、流鏑馬は昭和56年3月27日県の指定文化財となっています。

社殿 JPEG縮小50.jpg

 

【流鏑馬】

 流鏑馬は上古朝廷で行われた騎馬(うまゆみ)の練習に始まり、鎌倉時代に武芸として盛んに行われ後世儀式化して国家安泰、五穀豊穣を祈る奉納神事として神社の祭礼等で行われるようになったと言われています。本県では他に肝付町高山新富の四十九所神社、日置市吹上町中原の大汝牟遅神社で行われています。

 まず本儀に先立ち神前で奉幣の儀を行い、次に馬場入りの儀、総奉行、的奉行、記録役などそれぞれの部署につき、いよいよ流鏑馬本儀、射手は参道を鳥居から神社へ向って約260メートルの馬場を馳せ三ヶ所の的を馬上から射ます。これを三回繰り返します。矢を放った後、両腕を水平に広げる宮崎神宮と同じ系統の小笠原流を取り入れています。射手の装束は中世の巻狩りの姿で以前は壮年が射手を務めていましたが、現在は中学生高校生が大役を果たしています。当り的(平木)を持ち帰って家をふけば栄えると言われ、又矢が多く的中すれば翌年は豊年であると言われています。

      25流鏑馬 JPEG縮小.jpg          流鏑馬2 JPEG縮小30.jpg

      流鏑馬保存会 JPEG縮小30.jpg       住吉神社 子供 JEPG縮小30.jpg                                                                                                                                                                       

油竹のぼり JPEG縮小15.jpg

 当日、境内では奉納武道大会や油竹登りも行われ多くの参詣者で賑わいます。油竹登りはめずらしい行事で、その内容は5~6メートルの孟宗竹を三ヶ所設置、上部に菜種油が入れてあり頂上にくくりつけた景品めがけて子供達が(以前は大人参加)よじ登りますが油がたれて竹がツルツルしてなかなか景品に届かず持参した布で竹を拭きつつ、やっと景品に手が届き周りから拍手が起ります。竹は稲にたとえ竹葉は稲の葉に、景品は実りの稲穂とされ景品をとった人は今年の幸運を招くと言われています。又末吉の地名の起こりも、この住吉から来ていると言われています。

 

 

住吉神社

宮司 上原 尚士



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